【オーストラリアワーホリ】日韓夫婦 豆柴便り

徒然なるままに 豆柴系韓国人夫 と 日本人嫁 のマイニチ

ワーホリ中の「お別れ」

スポンサーリンク

https://www.instagram.com/p/BvddMaRFbeY/

 

 

こんにちは!  豆柴日韓カップル かほです!

 

 

 

 

 

最近すごく感じること、特に私がワーホリ中にいつも感じていたことがあります。

 

やっぱり人と別れることはすごい寂しいなぁと。

 

この3月、4月になって今年も何人かの人とさよならしました。  自分が新しい場所に行って、誰かが違う場所に行って…  今までにも春になると絶対別れってあるんですけど、この時期になってふとシドニーに住んでいた時のことを思い出しました。

 

 

 

 

 

 

 

私がシドニーに住み始めたのは10月1日からでした。  オーストラリアで一番最初のさよならは、当時ホームステイしていた先の3歳上のフランス人のルームメイト、マリーでした。  まだつたない英語しか話せなかった私とは違い、彼女はアドバンスクラスで英語もぺらっぺらでタックスファイルナンバーの申請の仕方なんかも彼女から聞いたくらい私にはとても頼もしいお姉さんでした。  妹のように可愛がってくれ、毎日夜遅くまで一緒に宿題をしたり、マリーの彼氏の話を聞いたり…時々フランス語を教えてくれたりとにかくたくさん話をしました。  一緒に居た期間はそんなに長くはなかったでしたが、私にとっては一緒の時間を過ごしたとても大好きな友人でした。  彼女が家を出ていく日、最後の朝食を一緒に食べて「かほ、あなたの英語力はどんどん成長しているからこれからのオーストラリア生活がもっと楽しくなることを祈っているよ!」と言ってハグをしてお別れしたのを覚えています。  この時は悲しい気持ちと、うれしい気持ちと…まだ私にもこれから続くお別れの寂しさをちゃんと理解していなかったように思います。

 

 

 

 

 

その後、私が10月にホームステイ先を出てホストファミリーとお別れをし、新しいシェアハウスで出来た友人とも何人かさよならをしました。  12月には3ヶ月通った語学学校を卒業しました。  その頃から少しづつひとつひとつのさよならの重さに耐えられなくなってきました。  前職も異動が多い会社ではありましたが、1年に2回はある会社の決起集会では必ず会えるし、日本に居ればいつでも会おうと思えば会える環境。  シドニーで経験したお別れはそんなものではなく、昨日まで一緒に寝泊まりしたり一緒に勉強をしていた人がもう二度とは会えないかもしれないくらい遠い場所に行く。  そんな感覚でした。  基本的には周りの友人は私と同じようにワーキングホリデーに来ているか、もしくは留学。  どんなに長くても1年しか一緒に居られない中で、引っ越しや帰国、来た時期を考えるとだいたい2か月ほどでみんなとお別れをしていたような気がします。  せっかく仲良くなった人がどんどん帰国してしまう。  その時の私には、それが私1人だけがどんどん取り残されてしまう。という感覚でした。  

 

 

 

 

 

 

私にはシェアハウスで一緒に住んでいた2人の日本人の男の子がいました。  2人とも年下でしたが、ご飯を作ったり一緒に夜まで話したり英語の勉強をしたり…家にいる時間は割といつも一緒に居ました。  彼らは私にはない発見や経験を教えてくれるから一緒に居て刺激的でした。  そのうちの一人にも「いちいち悲しんでいたらきりがない。  すぐに慣れるから。」と言われたのをすごく覚えています。  その言葉さえ冷たく悲しい言葉だと感じました。  その二人も私より先に家を出てしまうことになりました。  その時に結構本気で限界になりました。  本当に仲がいいと呼べる人はシドニーからいなくなってしまうような感覚。  その頃、12月、1月になると、ホリデーシーズンも重なり毎週のようにお別ればかりしていました。  本人たちには言っていませんが2人がいなくなってしまった時は結構泣きました。  見てたらせっかくやし伝えときます。  結構つらかったです、兄弟みたいに過ごしていたと思うので。  日本であえたとしてもまたあぁやって一緒に住めるわけではないので。 

 

お別れの日、一人で家にいられなくて豆柴くんに向かってかなり泣きました。(笑)  その時、彼は2年近くオーストラリアに滞在していましたが、彼もまた「すぐに慣れる。  いないことにも、いなくなることにも。」と言われました。  慣れるわけないと内心で思っていました。  そしてその次の日、私も大好きだった彼のイギリス人のルームメイトまでメルボルンに引っ越すと言ってシドニーを出ていきました。  泣くことも疲れてもはや泣けませんでした。  ただただ虚無感という言葉がぴったりな感覚。

 

 

 

豆柴くんに「あなたの大切な友人がいなくなってしまうのに、寂しくはないの?」と聞くと、「寂しくはないよ。  だって君と一緒にいるから(*'ω'*)」と言っていました。  その時の私は素直に喜べませんでした。  この人まで私の隣からいなくなってしまったら本当に私はオーストラリアにはいられなくなると思いました。  今私がこの程度の落ち込みで済んでいるのはきっと皆が徐々にいなくなってもこの人だけはずっと一緒に居てくれたからだと気付きました。  そんな私達もシドニーを離れる時は別れる時だという約束で付き合っていました。  その時点で、私達に残された時間は3ヶ月。  正直、早くこの人から離れようと思いました。  離れて、会う頻度を減らして、この人がいなくなっても平気でいられるように友人も作って笑ってさよならしなければと思いました。

 

 

 

 

そのあともお別れが続きました。  あまりにも続きすぎて、みんなが言うように本当にお別れすることに大袈裟な感情を抱かなくなりました。  諦めのような感覚でした。  そうやって人は徐々に環境に慣れていくんだなぁと思って。 

 

 

 

 

結局その後、私は残された彼との時間を少しでも一緒に過ごせるように同棲することに決め、シェアハウスを去り、職場も何度か変えました。  お別れする寂しさを知っているからこそ、彼と離れることが出来なくなってしまって今結婚するまでに至った気がします。  【別れる】か【結婚する】かしか選択肢がなくなって、別れることを選べなかった理由はオーストラリアで経験した数多くのお別れもひとつの要因なのかなと。

 

 

 

 

半年を過ぎたころから、私はお別れして残される側から私が去る側へと変わっていきました。  自分が去る立場になってみると、慣れてきたこともあり思っていたよりも悲しいという感情は沸きませんでした。  とてもすがすがしい気持ちでした。  寂しいと言ってくれる人はたくさんいました。  それすらすごく懐かしくて、嬉しくて渡豪した時よりも前向きにお別れをとらえられるようになりました。

 

日本に帰国してからもいまだに連絡を取る友人もいます。  幸運にも会える友人もいます。  これから友人に会いに海外旅行に行こうと思える出逢いもありました。  今でこそ前向きにとらえられていましたが、その時はこの世の終わりかの様に重くとらえていたなぁと思って。

 

 

 

 

今、日本に帰って来てから、日本にワーホリに来ている人も周りに増えました。  彼らは同じように1年もすれば母国に帰っていきます。  そのお見送りや最後の挨拶をしたときに、ふとシドニーで感じたあの感覚を思い出してしまったので思い出語りにこれを書いてしまいました。

 

 

 

 

やっぱり慣れても人と別れるのは寂しいなぁ。  だから今いる友人を大切にしようと思います。  私が大阪を離れても、和歌山を離れても、シドニーを離れても友人でいてくれた人、今でも友人でいてくれる全国、全世界各地の人達に感謝ですねぇ。

 

そんな人たちに感謝を伝えられるように、日本で行う結婚式の二次会は告知だけしてくれれば誰でも参加できるスタイルにしているのでまた皆に会えるといいなぁと思ってます。

 

 

 

 

 

 

 

 

以上!

 

 

 

 

かほ