MAMESHIBA DIARY

Every hundred feet the world changes

親子でも、知らないことってたくさんある。

https://images.unsplash.com/photo-1624523027123-e6b889e80a15?q=80&w=1974&auto=format&fit=crop&ixlib=rb-4.1.0&ixid=M3wxMjA3fDB8MHxwaG90by1wYWdlfHx8fGVufDB8fHx8fA%3D%3Dこんにちは! かほです! 韓国人夫 通称「豆柴くん」と日韓ハーフの息子 通称「子豆くん」との他愛のない日常を描いています。

隠してるわけじゃないけど
話す必要もきっかけもないような話。

日韓夫婦MAMESHIBA DAIARY かほの日常


 

 夏前、駅前の喫茶店が足場とメッシュシートに覆われてるのを見た。 結構古い建物だし、外壁塗装でもするのかな〜?っていう話をその日の夜にした。 数日後にまた同じ道を通ると、3階建の喫茶店は2階3階部分が取り壊されていた。 もうあと数日もすれば1階まで完全に取り壊しが完了し、更地になるんだろうなぁと思った。

 実家の最寄り駅は普通車しか停まらない駅で、周りには高い建物もなく、夜には駅の灯り以外に街灯もほとんどなく、田舎の都市部の住宅地。 だからこそ小さいながらに3階建てのその喫茶店は自然と目につき、いつも大阪から電車で帰る時にはその喫茶店の外観を見て「あぁ、帰ってきたなぁ」と実感するお店だった。 でも中に入ったことはない。 お店の雰囲気も、中の広さも、実際いつまで営業していたかも知らない。 でも確かにそのお店がそこにいてくれる安心感は計り知れなかった。 そこからさらに数日後、綺麗に更地にされ「立入禁止」のロープが貼っているその場所を見て、「こんなに小さい土地だったのかと驚いてしまった。 母に、「もう完全に無くなってたよ」と写真を見せて興奮気味に報告すると「あのお店お母さんが20代の頃にはもうあったから結構長かったもんなぁ。寂しくなるなぁ。」と言っていた。

 Googleで口コミを見ると「昭和の喫茶店の雰囲気」「カレーが美味しい」「サイフォンコーヒーが美味しい」「マスターやママさんが素敵」などいいことばかりが書いていて、本当に温かい場所だったんだなと今更知った。 とある方の口コミに「終戦の頃小学生で…」とマスターが話していたとあったので、今90歳くらいのご夫婦なのかな。 ということは喫茶店も50年くらい?いやもっと前から?続いていたのかな。 学生の頃は毎日通っていた道なんだから一度くらい足を踏み入れてみればよかったとちょっと物惜しい気持ちになった。

 

 本題から少し話が逸れてしまったので元に戻そう。 母が「お母さん20代の頃からあった」というそれに引っかかった。 だって、両親がこの土地に家を購入したのが30代後半。 母の実家は同じ市内とはいえここから車で20分くらいだし、その頃父と母は出会ってすらいない。 知り合っていたとしても父の実家は同じ沿線のここから2駅向こうだから、こんな普通車しか停まらなくて住む以外これと言って何もない駅に来るとは思えないし。 …で、「何で20代の頃のこの辺を知ってるん?」と素朴な疑問が生まれた。 すると母が、「その当時お付き合いしていた彼氏がこの辺に住んでいてよく遊びにきていた。」と。 ほぇ〜そうなんや。 その元彼さん、今はもうないけどその当時実家が材木屋さんをしていて家も工場もこの辺りだったらしい。 「跡地が○○になってる、あそこにあったんよ!」なんて教えてくれた。 ほぉ〜ん、実家が材木屋の元彼。 知らないなぁ。

 母の結婚前の話、さすがに全部は知らないけれどいくつか知ってる。 中でも印象的なのは学生の頃から7年間お付き合いしていた人がいたこと。 7年付き合ってどうしてその人と結婚しなかったのかと尋ねると「この人と結婚したいと思わなかった」と。 私には到底理解に及ばないけど、“恋愛と結婚は別”というのが母にとって明確に何かあったんだと思う。 その他だと、カローラで働いていたこと、材木店で働いたこともあるということ、ミスドや選挙の鶯嬢のバイト経験があること。 バブル絶頂期で社内旅行で海外にも行きまくっていたこと。 細々したことはあるけれど大体そんな感じ。 あまり深く突っ込むことはしなかったけど、実家が材木店の元彼と7年お付き合いした元彼が同一人物なのかどうかも分からない。 でもなんとなく20代の頃の彼と学生の頃から付き合っていた彼は同一人物のような気もする。 母からすると隠しているつもりもないし、話す必要もないことだから今まで特に言ってこなかったんだろうけど、私にとってはまた私の知らない母の過去を知った気がする。

 同じように、里帰り中に知った家族の話がいくつもあった。 母方の祖父母の若い頃の話や母の兄弟の話。 祖母の兄弟が碌でもない人間で、母はいまだにその人たちに対して怒っている話(もう縁は切れてるみたいだけど)。 大層プレイボーイだったと噂の曽祖父と、超絶美人で早くに亡くなった曽祖母の話。 母が出産後に義母(私にとって父方の祖母)から言われたムカつく言葉の数々。 私とってはいい祖母だったのでそういう嫌な部分も飲み込んで孫と祖母の関係を保ってくれていたんだなとも気付かされた。 家族の昔話は家族からしか聞けない。 でも祖父母も父も亡き今、気軽に聞ける相手が母しかいない。 子供に話たって意味がないような昔話も、30歳になった娘なら1人の大人として話ができる。 里帰り中は話す時間がいくらでもある。 そんなこんなでこの数ヶ月の間に初めて聞かされることが本当にたくさんあったな。 誰に語り継ぐでもないけれど、自分のルーツを知れるのは嬉しいこと。 その全てにその人たちの人生観が詰まっていて、それを受け取った側にも何かしらの影響があって、次に繋がってくはず。 いつか子豆くんが大きくなった時に、ばぁばやじぃじは若い頃こういう人、ひいばぁばやひいじぃじはこういう人、母昔はこうだった…なんて話すこともあるのかな。

 でも、確かに元彼の話とかは積極的にはしないかもな。 少なくとも豆柴くんが生きているうちは。(笑) うちは父が亡くなってるから、母と娘で女同士だからできる話なのかもな。 前に付き合ってた人とのいい思い出話を聞いていい気はしないだろうからな。 隠すわけじゃないけど、話す必要がないってこういうことだな。 となると、きっと子豆くんもいつか「親子でも知らないことってたくさんある」なーんて思うこともあるのかな。

 でもいつか大人になった我が子と、親子ではなく対1人の人間として自分の過去や嬉しいこと悲しいことなんかを笑って話す日が来るのかと思うとエモいし、ちょっと楽しみだったりもするな。

 

 それよりも、母はまだ生きてそばにいてくれるから今のうちに聞ける話は少しでもたくさん聞いておこうと思った。 あの喫茶店みたいに無くなってから惜しい事を…なんてことにならないように、今のうちにいっぱい話しよう。#日韓夫婦 #日韓カップル #国際結婚 #韓国人彼氏 #韓国人夫 #年上旦那 #日韓ハーフ #ハーフ #日韓夫婦ブログ #ワーホリ #ワーキングホリデー #オーストラリア #シドニー #ワーホリカップル #韓国語 #英語 #大阪 #ソウル #日本在住日韓夫婦 #韓国在住日韓夫婦 #苗字 #日韓夫婦離婚率 #日韓夫婦ブログ #日韓カップルブログ #日韓夫婦あるある#配偶者ビザ #永住権 #パートナービザ #国籍 #日本在住 #関西在住 #インテリア #おうちカフェ #カフェ巡り

(No.085)

最後までお読みいただきありがとうございました

\ ランキング参加中 /

にほんブログ村 インテリアブログ インテリアライフへ にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ にほんブログ村 恋愛ブログ 国際結婚(韓国人)へ