MAMESHIBA DIARY

Every hundred feet the world changes

お父さんの誕生日

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こんにちは! かほです!

新しいお仕事について間もなく1か月になります。

くったくたになりながらも学びの毎日です。

書きたいことはたくさんあるのに、

書けないまま時間が過ぎていくのは勿体ないなぁ・・・

 

こうやって言葉にしてどこかに残すことって、

本当に大切なことだと思うから

日記でも手帳でもブログでも、書き続けることは大切だなぁ。

・・・と、思いました(*'ω'*)

 

 

さて、本題。

 

先日、4月12日は亡くなった父の誕生日でした。

もし今も元気に生きていれば、

コロナのご時世じゃなければ、

きっと今日は実家に帰って私のおごりで

母と3人で、もしくは旦那氏と4人で、

ご飯でも食べに行っていたんだろうか?

 

 

父は私が高校1年生の時に亡くなった。

私の誕生日が来る前だったから、まだ15歳だった。

15歳だった私は、気付けば高校を卒業し専門学校を卒業し、

社会人になっていろんなことに挑戦しながら26歳になった。

一人暮らしも始め、結婚もし、知らないうちに11年も経った。

 

 

不思議と、父がいなくなってからも寂しくはなかった。

友達はたくさんいたし、母も小太郎(犬)もいた。

けど、時間が経てば経つほど

ふとした時に父を思い出しては

反抗期だった当時の私では気付けなかった

父の偉大さに気付かされる。

 

父は、当時私が思っていた以上に素敵な人だった。

 

 

 

 ブライダルという仕事を長らく続けてきたから、

「花嫁と、嫁に出す父」という関係性をよく見てきた。

バージンロードを涙しながら一緒に歩く花嫁とお父様を見ると

「かほの子が早く見たい」と言っていた父を思い出して

私も叶えてあげたかったなと鼻の奥がツンとなった。

 

 

 

末期癌だった父は、ある日突然全く違うことが要因となって亡くなった。

それなりに覚悟はしていたけれど本当に突然だった。

なんの実感も得られないままに父は自宅に帰って来て、葬儀も終わった。

なんの実感も得られないままに、11年も経った。

 

 

私は命日をあまり大切にはしていないし、

正直命日だからと言って思い出に浸ることもない。

亡くなった日は全く大切ではなくて、

むしろ生まれてきた日を大切にしたいなと、

亡くなって何年経っても思う。

 

父は食べることが大好きだったから、

素っ気ないお線香なんかよりも、

美味しいものをたくさん備えた方がうれしいだろうな。

私が代わりにおいしいもの食べなきゃな。

と、まん延防止措置ナンタラの真っ最中だけど

ご飯を食べに行ってきました。

 

 

生まれ変わっても、私は父の娘でありたいと思う。

 

そんなことを今年も考えた、お父さんの誕生日でした。#日韓夫婦 #日韓カップル #国#国際結婚 #韓国人彼氏 #韓国人夫 #年上旦那 #3歳差 #ワーホリ #ワーキングホリデー #オーストラリア #シドニー #ワーホリカップル #韓国語 #英語 #大阪 #ソウル #韓国人と出会う #韓国人の彼氏が欲しい #韓国人と付き合いたい #日韓カップルさんと繋がりたい #日韓夫婦の日常 #日韓夫婦のリアル #日本在住日韓夫婦 #韓国在住日韓夫婦 #日韓夫婦苗字 #日韓夫婦離婚率 #日韓夫婦ブログ #日韓カップルブログ #日韓夫婦あるある #国際結婚あるある #韓国人の彼と結婚しました #人気日韓夫婦 #人気日韓カップル #結婚生活 #日韓カップルに憧れる #日韓カップルになりたい # 配偶者ビザ #パートナービザ #名字 #名前 #日韓問題 #国籍 #大変 #日本在住 #関西在住 #関西 #ビザ #離婚率 #後悔 #苦労 #危機到来 #竹島問題 #慰安婦問題 #どう話す? #喧嘩 #夫婦喧嘩 #オモニ #アボジ #シオモニム #オモニム #アボニム #インテリア #おうちカフェ #カフェ巡り

かほ