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家族コンプレックス【私の26年の人生観】

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こんにちは! かほです!

 

【私の26年の人生観】シリーズ2日目。

私は文章をうまくまとめる力が乏しいので毎回記事が長くなってしまって数日に分けがち。

昨日は「うつ病を経て」という記事を長々と書かせて頂きました。

 

 ■うつ病を経て

 ■家族コンプレックス  ←今ここ

 ■子供の頃の自己肯定感 21日更新予定

 

今日も人生観シリーズ2つ目書いていきます。  

 

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うつ病が発覚した時、問診票で家族についての質問事項がいくつかありました。 家庭環境や幼少期の記憶はやっぱり少なからず大人になってからも影響するんでしょうか。 具体的な質問はあまり覚えていないんですが「母親は〇〇の時、こういう人だった」「父親は〇〇の時、こうしてくれた」「家庭環境は良かった」みたいな質問に「1 そうは思わない」から「5 まったくそう思う」の5段階で答えていくものでした。

 

私の家庭は、少し特殊でした。 血の繋がった父も母もいました。 そして私は一人娘で、たくさん愛を注いでもらって育ちました。 やりたいといったことは挑戦させてくれて、嫌なことを押し付けられたりはしませんでした。 とびっきりの裕福ではないですが、それなりに贅沢な暮らしをさせてもらっていた気がします。 その当時は気付かなかったけれど、大人になって自分でお金を稼ぐようになってからは余計に感じるようになりました。 それでも、普通ではありませんでした。 とにかく【特殊】な家庭環境でした。 ここでは特殊であると私が言いきれる具体的な理由についてはあえて明言することは避けます。

私の家族が【特殊】になったのは私が生後10カ月の頃です。 生活環境ががらりとかわりました。 もちろんその頃の私には記憶はありません。 ただ、不思議なものでその頃父親が乗っていた車の色なんかを覚えているのはなぜでしょうね? 写真でも見たのかもしれませんが、なんとなく私は父親に抱かれて車に乗り込むときの風景を覚えているような気がします。 その車があったのはそれこそ私が生後10カ月の頃までなので、もし本当にその記憶が実際に会ったことならば生まれてからそれまでも期間ということになりますね。

私が高校1年生の頃、父親は病気で亡くなりました。 そこからは母一人子一人、チワワ一匹、協力して仲良くやってきました。

私は物心ついた時からずっとこの特殊な家族がコンプレックスでした。 特に、父親のことが嫌いで嫌いでたまりませんでした。 顔を合わせると口喧嘩をして、一緒に居ていい思い出は少ないです。 その理由から、私は友達に家族について話すことは一切なく、またどうしても話さなければならないような状況の時は決まって嘘をついて本当のことは話さないようにしていました。 本当のことを知られるのが恥ずかしかったのです。 学生が到底経験しえないような家庭環境で育った私の話を、普通の家庭で育った友達に話したところで返答する言葉が見つからないのは目に見えていたからです。 余計な詮索をされるのも嫌だったし、変に噂になるのも嫌でした。 私はとにかく体裁を取り繕って普通の家族を演じていました。

22歳を超えてからは本当に信頼している一部の友人には話せるようになりました。 年を重ねることで、少しは理解してもらえる年齢になったんじゃないかと判断したからです。 それでもこの事実を全て知っているのはほんの一握りですが。 今でこそ父親が亡くなっていることも言えますが、それこそ高校生・専門学生の頃なんかは親が亡くなるってことを経験している人なんてほとんどいなかったでしょう。 そんな思い事実を告白されても困るだけですからね。 ずっと父親は生きているていで、さらには普通の家族のていで話していました。

ちなみに大人になってからは父親のことも母親のことも本当に尊敬していて、特殊な家族の形ではあったけれど、それでもあの家族に生まれてよかったと本気で思えるようになりました。 生まれ変わってもまた両親と一緒に家族になりたいです。 ただ、あの頃の私が父親を理解し本気で尊敬し、娘に生まれてよかったと思えるようになるにはあまりに早すぎる別れだったのです。 なんといっても反抗期真っ最中でしたから。 父親にはできなかった分、母親のことは私が幸せにしたいと思っています。

 

 

そういう背景もあり、私は子供の頃は結婚願望というものは一切ありませんでした。 結婚したら人生終わると思っていました。 母親が苦労しているのを間近で見てきたからこそ、私がいざ母親の立場になった時に同じことをする自信がなかったからです。 それでも少しづつ大人になるにつれ、結婚もいいかなと思い、今の旦那氏と一緒に居るわけです。 それでも出産にまだ踏み切れないのは、どこかでまだ保険をかけているのかもしれませんが。

 

 

そんな私は【普通の家族】というものにどれほど憧れたか。 お父さんがいて、お母さんがいて、週末は家族でお出掛け・外食。 遊園地や運動会には家族みんなで、理想は兄弟姉妹がいて、家族全員仲良しで・・・それだけでよかったんです。 ずっとそれだけのことがうらやましかった。 そんな普通の家庭を普通に築きたいと思いました。

じゃあ、【普通の家族】ってなんですかね。

26年生きていると本当にいろんな人と出会いました。 いい人ばかりで、次第に仲良くなって話をしてみるとその人も苦労してきたことが見えるようになりました。 両親が長いこと家庭内別居している人、さらには今どき離婚している事なんて珍しくもないでしょう。 兄弟が非行に走って家庭崩壊、親が誰かも分からない、幼少期に親が出て行ってそれ以来兄弟で協力して生きてきた人。 もし私がそれまでに考えていた【普通】の尺度でこれらを測るなら、きっとその人たちは普通には分類できない。

じゃあ、結局【普通の家族】って一番【理想の家族】なんかなって。

 

旦那氏の実家は建築会社をやっているので、私なんかよりもよっぽど裕福な暮らしをしてきています。 お父さん、お母さんと一緒に暮らして、お金もあって。 それでも旦那氏は子供時代幸せじゃなかった、寂しかったと言います。 「両親はいつも仕事で家に居なかった」「ずっとひとりでいた」「ずっとひとりでご飯を食べていた」「帰ってきたら勉強してるか?と聞かれる」だから、家族らしいことは子供の頃にはできていない。 今だからこそお互いお金も時間も心にも余裕をもって、家族っぽいことができるけど。 と言っていました。

確かに、私は特殊な家庭環境ではあったけどご飯を一人で食べて寂しいと思ったことはなかったな。 家に帰るといつも母親がいたな。

 

 

【普通】っていったい何なんですかね。

私が子供の頃に憧れていた普通は、どうやら世間でもほんの一握りのようです。 いろんな背景を持った人がいても、腹を割って話すまではその人が特殊な家庭環境にあったことも知りえない。 隠しているわけではないけど、言っていないことは皆たくさんあって。 何を基準にこの人の方が・・・っていうのかは誰にも決められないですしね。 私は結局ないものねだりをしていただけだったんですね。 

そのことに気付いた時に、母とお酒を呑みながら話していると「普通が一番難しいんよ」と言っていました。 母も母で4人姉弟の3番目で、頭がいいのに大学に行く余裕もなかったり、祖父が体が弱くて祖母が一人で家族6人支えて居たり・・・

子供の頃は自分の見えてるものでいっぱいいっぱいになって気付けなかったけど。

 

そうとは気づいても、やっぱり私は将来普通の家庭が欲しい。 子供は2~3人。 やりたいことを我慢させず、のびのびと育てて、家族で憧れの遊園地にも運動会にも行って。 皆で食卓を囲んで仲良く過ごして・・・ 

 

「あんたも大人になったらわかるよ。」「結婚したら/子供産んだら分かる。」

そういうものに気付きつつある年齢になったんですね。 過去の自分を否定するわけではないし、その時確かにそう感じていたことが今の私に大きく影響している事もまた事実だから、これはこれでいいんですけどね。

どんな家族であっても大切にしなきゃいけませんね。 たとえ喧嘩中の憎たらしい旦那でも・・・(笑)

 

 

 

次の記事では私の子供の頃の自己肯定感についてお話ししたいと思います。

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かほ