こんにちは! かほです(*'ω'*)
今週のお題「大人になったなと感じるとき」
これについて書いていこうと思います。 そのためにちょっと重めの自分語りをしようと思います。 長いので3回に分けます。
題して【私の26年の人生観】シリーズ。
■うつ病を経て ←今ここ
■子供の頃の自己肯定感 21日更新予定
私は22歳の時に軽度のうつ病になりました。 11月のことです。 いや、実際はもっと前からなっていたのかもしれません。 若さゆえに自分のことにとにかく無頓着で、自分の体を一切大切にはしていない時期でした。 専門学校を卒業して20歳(21歳になる年)で就職・一人暮らしを始めました。 仕事はとにかく毎日楽しくて、好きな仕事を大好きなメンバーと一緒にできることがとにかく幸せで毎日充実。 長時間働くことも苦じゃなかったので、残業時間が多ければ多いほど「今日も働いた~!」「毎日充実してるな~!」なんてすがすがしい気持ちになっていましたね。 その当時の私の仕事と言えば、週末がとっても忙しく、朝7時半に出社し帰るのは24時を回ってから・・・なんてのがうつ病発覚前は3~4カ月続いていました。 残業時間は平均して月70時間。 祝日の多い人もなれば100時間は余裕で超えます。
当時の私は完全に思考回路がどうにかしていたと思います。 24時に退社し、自転車で5分の家に帰宅。 家に帰ってすることと言えばお風呂に入って寝るくらい。 毎日疲れているけど次の日に寝坊するわけには行かないので、熟睡するのが怖くてソファや床で、消灯せずに寝る。 というのが日課でした。 また仕事の休憩時間の兼ね合いで、朝10時から長くて30分、短ければ15分だけ休憩を取って、朝ご飯なのか昼ご飯なのかよくわからない時間にコンビニで買ったパンを1つ食べる。 夜は24時以降に食べるのも嫌だから食べず、翌朝も7時半に出社するために6時半に起きて身支度をして出発。 少しでも睡眠時間を確保づるために朝食も食べない。 これが私の週末の生活でした。 平日でもこんな日はもちろんあって、ゴールデンウィークの時は10連勤この生活が続いたこともありました。 あれは地獄でした。 今でこそ働き方改革も浸透し、職場の環境や残業に対する考え方も少しずつ変化しているかとは思いますが、4~5年前は全くでしたね。
正直うつ病が発覚した11月前後のことは一切記憶に残っていないんです。 人間というのは無意識に自己防衛本能というのが備わっているもので、自分にとって都合の悪い記憶は忘れられるように作られているんですね。 私にとってはその当時のことは都合の悪い記憶なんでしょう。 それは「5年経った今だから忘れている部分もある」・・・なんて生易しいものじゃなかったです。 3日前の出来事すら詳細に思い出せなくなっていました。 シンプルに記憶障害のレベルです。
その頃、仕事であり得ないようなミスを小さいものから大きいものまで繰り返していました。 平常時なら考えられないような、新人でも侵さないようなミスです。 1週間程してそのミスが何らかの形で発覚した時、上司からその時の状況について説明を求められても何一つ思い出せない。 そんなことがありました。 上司からすれば、あれほど大きなミスをしておいて「覚えてません」なんて無責任な話はないですよね。 毎日3組の披露宴を週末2日で6組、それに加え祝日があれば9組、平日の披露宴も決して少なくはないので週に10組以上自分が携わることも稀じゃないです。 やっとの思いで10組施行完了した後に、10組前の記憶を呼び起こせと言われても難しい話ですが。 それでも4ヶ月近くそれを続けてきた私はとっくに脳内処理も限界を迎えていました。
うつ病になってしまった原因は一概に「仕事だけが悪い!」というわけではありませんでした。 就職し、一人暮らしを始めてから、私の体質ががらりと変わったのです。 もちろん、過酷な環境で1日1食、時には仕事終わりに飲み会でドカ食い・ドカ呑みし深夜に帰宅、消灯せずに床で寝て、レッドブルは毎日2本。 生活環境の変化の積み重ねも体調が変わる原因だとは思いますが。 それでも自分の体に無頓着な私は、その頃自分自身の体質の変化にすら気付いていませんでした。 20年続けてきたことをここ数年で悪い方に転がってしまうというのは、私たちが思っている以上に体にこたえます。 目に見える病気や発熱ならまだしも、内臓や体の内側から徐々に不調がきました。 原因不明の微熱が1カ月近く続いたり、倦怠感が続いたり、毎日顔がむくんで体は痩せて行って・・・また休日は極度の過眠症になってしまいました。 休日の前の晩に眠ってから休日1日寝続け、さらに翌日の出勤の日の朝まで寝ているなんてことがほとんど全ての休日で続くようになりました。 それも、途中で目覚めることなく、食事も水分もとることもなく、トイレにも行かず。 最初はよっぽど疲れてたんやなぁ、くらいで片付けていましたが、その異常さに気付いたころにはとっくに手遅れでした。
ある日、仕事の会議中にとんでもない睡魔が襲ってきました。 それはもうコーヒーを飲もうと、息抜きに歩き回ろうと、どうにもならない強烈なものでした。 それを上司に怒られ、「私は学生でも新卒でもないのに、こんなことで怒られるなんて本当に情けない。」とへこみました。 普段なら怒られても「切り替えていこう!取り返さないと!」と思える私が、その日は怒られて以降気分が晴れることはありませんでした。 うまく言葉で表現できませんが、もうこの世の終わりや・・・くらいの気持ちの沈みようでした。 その感情は時間を追うごとに増幅し、気付いた時にはみんなの前で突然泣き始めてしまいました。 怒られたことが悲しかったわけじゃありません、悔しかったわけでも苦しかったわけでもなかったんです。 ただ、突然自分の意思とは関係なく涙がぽろぽろ出て、その場にはいられなくなり逃げるように倉庫へと隠れました。 異変に気付いた同期がすぐに様子を見に来てくれて、話を聞いてくれました。 それでもうまくは説明が出来ませんでした。 悲しいと思う明確な理由はないのに、泣くことを辞められない。 最近体がおかしい。 そうとしか言いようがなく、それでも同期は黙ってうなずいて私のまとまらない話を聞き続けてくれました。
しばらくして、上司を交え3人で話しました。 とにかく、体なのか心なのか心配事があるのなら病院に行くように言われました。 明日は休んでいいから、とにかく病院に。 結果を必ず報告するようにと。 その日は最後までいられず、そのまま誰にも顔を合わせることなく退社しました。
翌日、家の近くにある心療内科に行きました。 行くと400問近い問診票を渡され「じっくりと時間をかけていいから、しっかり考えて書いてほしい」と言われ、結構な時間をかけて全てを記入しました。 1つの質問に対して「1 そうは思わない」から「5 まったくそう思う」の5段階で評価するものでした。 生い立ちから家庭環境、現在の生活や価値観について400問。 自分とひたすら向き合う時間になりました。 その日は問診票を提出し、簡単なカウンセリングを受けて、結果が出るのに3日はかかるから3日後にまた来るようにと言われました。 結果が出るまでの3日間は有給として追加でお休みを頂くことになりました。
3日後、再び病院に訪れると、自分の性格の特徴や思考パターンなどをグラフにしたものを見せられました。 それによると、今の状況は軽度のうつ病であるとのことでした。 思考パターンとしては「体の不調が心の不調に繋がりやすい」とのこと。 想像力が豊かであるがゆえに体調が優れないと、どんどんネガティブなイメージが膨らんでしまい、自分で自分を苦しめていくようです。 今でも少しその傾向はありますが、それを自分自身で理解してからは多少感情のコントロールがしやすくなった気がします。 担当医との相談の結果、1ヶ月出勤停止の診断書を書いてもらい、仕事もお休みをもらえることとなりました。 その間1週間に1回はカウンセリングに来るように、とのことでした。 精神安定剤と睡眠薬を貰い、そこからは一人で家にこもる生活が始まりました。
まずは生活リズムを整えることから始めるようにと言われ、きちんと1日3食食べてしっかり寝る、普通の生活です。 うつ病というのは人それぞれの症状があって、人それぞれのペースとやり方で向き合うしかなく、私に与えられた課題がそこでした。
一見簡単そうに見えるそれが、私にはとてもしんどかったです。 朝・昼・夜どの時間にも関わらず突然悲しさがこみあげてきて、発作的に一人で声をあげて泣くのです。 自分では止める術もなく、理由も見当たらず、ただ精神安定剤を飲んで気が晴れるまで泣き続けるだけでした。 薬が効いてきたころには一気に眠くなり、寝落ちします。 起きると冷静になっていて、ぼーっと空を見るか、壁を見るか、天井を見るか。 それを繰り替えすだけの生活でした。 テレビもあまり見ていなかった気がします。 その頃、生理的欲求は一切が無でした。 お腹は空かない、喉も乾かない、トイレも行きたくならない。 それでも、3食食べるようにと言われたから義務的に食べていました。 義務的に水分を取って、義務的にトイレに行って。 食事については母が数日に1回実家から食べ物を大量に持ってきてくれて、一人暮らし先の近所のスーパーで買い物をしてくれ、ご飯を作ってくれました。 自分で料理をする気力もなく、なんなら別にお腹もすいていないからご飯を作るタイミングすら分からない。 時間を自分で決めないと動けない。 そんな感じだった気がします。
漠然と、「私死ぬのかな。」と思ったこともありました。 死にたいとは思わなかったですが、こんな生活続けていくくらいなら死ぬべきでは?と偏った考え方になるのです。 そう思うのは決まって呆然と空や壁を眺めている時で、発作的に泣きじゃくる時にはそんなことは考えたり行動する余裕もないのです。
数週間してからは、なんとなく夜に寝て朝に起きて、なんとなくお腹もすくようになってそれなりに人間らしい生活ができるようになってきました。
職場では、社内の人間には「今こういう事情で〇日まで休み」と知れ渡っていましたが、社外の付き合いのある方はこの頃辺りで最近仕事に来ていないということが気付かれ始めます。 とってもいい方達だったんです。 大好きな人達だったんです。 そんな方達が、個別で「大丈夫?」「無理せずに元気になってね。」なんてLINEをくれるんです。 嬉しかったです。 と同時に、いたたまれない気持ちになりました。 LINEを見る余裕がある時というのは、決まって落ち着いている時です。 発作的に泣いている時は大丈夫ではない時で、それ以外は大丈夫な時でしょうか。 そのメッセージに目を通している時、「私は大丈夫で、普通なのにどうして仕事を休んでいるんだろう?」「私のせいで迷惑がかかっている。」「私ってなんなんやろう?」「こんなに長期間休みをもらっているんだから、大丈夫でいてはいけないんじゃないか。」という誤った方向へと走りはじめます。 大丈夫ですと返信できる自分がどうしようもないゴミ人間に思えて今度は「大丈夫になりつつある自分」を気持ち悪い存在にすら思えました。 気付けば、振出しに戻っていました。 カウンセリングを通して、そういう考え方をひとつずつ見つめ直す毎日でした。
1カ月後にはなんとかまた立て直し、夜眠くなって寝て朝お腹が空いて起きる。 睡眠時間は薬を飲まなくてもアラームをセットしなくても8時間。 朝起きたらトイレに行きたくて、お腹が空いたからご飯を食べる。 という本来人間があるべき本能と欲求が戻ってきました。 その時の感動は忘れられません。 あぁ、私は生きてる。と思いました。 日頃、生きていることを実感する事ってあまりないような気がするんですが、その時の私は「生きる」ということの本質的なものを見た気がします。
その後、無事仕事に復帰、ワーホリの為に退職、オーストラリアへと渡り、彼と出会い結婚、再就職、学校に通うために退職したわけです。 旦那氏はもちろん、私がうつ病になっていたことを知っています。 今も完全に治ったわけではないんです。 壊れかけた私を何度も目の当たりにしていますし、今となってはそんな私への対処も上手になってきたものです。 心の病というのは、病気とは違って悪いところを排除したり改善して数値で測れるようなものではなく、環境の変化や季節の変化・・・何かがトリガーとなっていつまた再発するかが分からないです。 そんな恐怖と向き合わなければいけないけど、それもまた考えすぎると憂鬱になってくる。 今でも睡眠薬と精神安定剤は常に持ち歩いています。 持ち歩くことがある種の精神安定剤的要素があるんでしょうね。 時々原因もなく悲しい気持ちになることは今でも時々あります。 でも、自分で対処できる方法を今は見付けたから・・・大丈夫です。 この表現が正しいかは分かりませんが。
私は軽いうつ病だったからこそ、数か月で仕事復帰できましたが症状は人それぞれ。 みんながみんな私と同じ症状ではないし、もっとつらい方から見れば私なんてうつ病とも呼べないものかもしれない。 それでもうつ病は心の甘えではないと分かってくれる人が少しでも世の中に増えると嬉しいな。
次の記事では私の育った家族・家庭環境についてお話ししたいと思います。
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かほ