MAMESHIBA DIARY

Every hundred feet the world changes

私のおじいちゃん

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今週のお題「おじいちゃん・おばあちゃん」

 

こんにちは! かほです!

 

今週のお題、皆さんのお話がとても素敵だなぁと思っていろんな方のエピソードを読み漁っています。 残念ながら私にはもうおじいちゃんもおばあちゃんもこの世にはいないので、今も一緒に過ごせている方は本当に大切にしてほしいですね。 街中で出会うおじいちゃんおばあちゃんにももっと優しくしようと改めて思わされます。

 

さて、4人いる祖父母の中で私に一番影響していると思うのは母方の祖父です。 私は本当にそのおじいちゃんに似ているそうです。 顔がではなく、趣味や得意なことです。 手先が器用で人当たりがよく、お酒をがばがば飲むところも祖父譲りです。 詳しくは祖父の血をそのまんま引いた母譲りかもしれませんが。(笑) おかげで母方の家族は全員お酒が強いので親族で集まると晩酌で消費するお酒の量がすごいです。 今回インテリア・建築業界に進むというのもおそらく祖父の影響でしょう。 祖父は家を自分で増築を重ねて、風呂のなかった家に自分で風呂を作ったと言っていました。 離れや倉庫、池なんかも全て祖父が作ったらしいです。 そして私は3歳くらいの時にその祖父の作った深めの池で鯉を見ていて溺れたと従兄が教えてくれました。

 

若い頃から病気がちで喘息持ちだった祖父は、私の物心つく前から病院での入院生活をしていました。 残念ながら祖父と遊んだ記憶はほとんどありません。 実家から車で30分程のところにある祖父母の家を訪ねるといつも待っているのは祖母で、そこから祖父の入院している病院まで祖母を連れて一緒にお見舞いにいくのが母の仕事でした。 その頃の祖父がどういう状況だったのかは分かりません。 病院についてからは私は一人で待合スペースで待って、大人だけが病室に入るのが決まりでした。 最期まで祖父に会って直接話すことはできませんでした。 それでも、ほんのり記憶の片隅にある祖父の印象は優しくて、いつも笑っていて、よく膝の上に乗せてくれていたような気がします。 母が撮影したホームビデオでそういうシーンを何度か見ました。

戦争も経験していて、学生だった祖父は学徒出陣の為に訓練まで受けている最中に終戦になったそうです。 これがあと2年ほど遅かったら母も私も生まれていないんだろうなと改めてタイミングというものには考えさせられます。

 

おじいちゃんは私が5歳の頃、保育園の運動会の日に亡くなりました。 ちょうどこの季節ですね。 運動会を休んだ、ということはなんとなく覚えています。 母が「今日はおじいちゃんがおうちに帰ってくるよ。」と言ったときはものすごく喜んだ気がします。 遠方に住んでいる親戚や年の離れた従兄弟達が集まっているのも嬉しかった。 そこから先のことはあんまり覚えていません。 生れてはじめて、誰かが亡くなるということを経験した時です。

 

 

先日お祓いに行った時、そのおじいちゃんがずっとついてくれていたことが分かりました。 末孫の私を心配して、亡くなったときからずっと一緒に居てくれたそうです。 5歳ごろからあった霊感がお祓い後になくなったことも含めて、おじいちゃんは私が危険な目に合わないように守ってくれていたんだと思います。

一緒に居た時間は誰よりも短く覚えていることもほとんどないんですが、ずっと今でもそのおじいちゃんのことが大好きなのはそういうのもあるのかな。

 

 

そのおじいちゃんに憧れてなのか遺伝子的な何かがそうさせているのかは分かりませんが、10月から私はインテリアコーディネーターを目指して再び勉強を始めます。 確か、家にはまだ祖父の残した建築用の定規やらなんやらが残っている気がするので、今度それを取りに実家に帰って少し遅めのお彼岸のお墓参りにでも行きたいです。

 

 

おじいちゃんがもし生きていたら一緒に旅行とか行ったのかな~と思うと、私が遅く生まれたばっかりに悔しいですね。 それでも、「あんたはほんまにおじいちゃん似やな」と言われることは私の誇りです(*'ω'*) その誇りをもって素敵なインテリアコーディネーターになるぞ!

 

 

かほ