こんにちは! かほです!
今日はちょっと真面目に。 彼との結婚を決めてからもうすぐで1年になります。
前にも少しお話しましたが…、私達が結婚しようかとなったのは、その当時私達には"別れる"か"結婚"するかしか選択肢がなかったから。 もうすぐビザが切れる彼と、セカンドビザ(オーストラリアに2年目もワーホリとして滞在する為に必要なビザ)を取るためにファームに行かないといけない私。 別れるならタイムリミットはあと1ヶ月。 頑張って引き伸ばして長く見たとしても、3ヶ月。 そんなタイミングでした。 お互いの将来の計画について話し合っていた時、彼は6月末には韓国に帰り、2月からニュージーランドでの生活をはじめると言いました。 ニュージーランドの大学に行った後、永住権を取得してそこで暮らすと。 一方の私は5月にはシドニーを出てファームに行き、そのままあと1年半オーストラリアに滞在するつもりでした。 でも、内心では彼と一緒にニュージーランドについていくつもりでした。 親にも、オーストラリアのワーホリ後はニュージーランドに行く。と話していました。 特に反対されるわけではなく、早く生活を落ち着かせなよ。とだけ言われていました。 ニュージーランドについていく話はまだ彼には口に出して言っていませんでしたが。 なんと返事をされるか怖かったのが大きいです。
彼から「結婚するのが1番いいと思う。」と最初に言われた時はすごく無謀な事だと思いました。 ついていく覚悟はあっても、今結婚を決める勇気はその当時の私にはありませんでした。 少し考えて、「今は無理だと思う。」と答えてしまいました。 彼もそうだよね、となって…。 その日はそれ以上何も話すことが出来ず寝ました。 その後一人で夜考えてみました。 無理ということは、結局いつか別れるのか?ともやもや一晩を過ごしたのを覚えています。 初めて二人で暮らし始めた日の夜でした。 考えても、考えても、別れる未来が想像出来ませんでした。 別れた後自分がどれだけ後悔するかだけが想像出来ました。 今でもそうですが、大好きな人を国籍や言語を理由に手放す勇気もなかったのです。 私にとっては国を超えることより、別れることの方が決断の必要なことでした。 次の日、仕事から帰った後、私から「結婚しようか。」と話しました。 彼はすごく喜んでくれました。
私の語学学校のクラスメイトのフランス人も、彼のことを知っていたのでよく私に「結婚はしないのか?」と聞いてきました。 その頃は韓国人の彼と日本人の私が結婚!? 無理無理無理! …と思っていて、そう返答すると「なんでだ!? 国が違うからか!? それの何が問題なんだ! 自分の親はフランス人とイタリア人だ! あいつも○○…あいつも…」と説教されたことをすごく懐かしく思います。(笑) 今思えばあれも結構背中押された1つだったかもしれません。 海外に暮らしていたことは本当に大きい。
その後、私の母に報告すると、母にはものすごく反対をされました。 後から冷静に理由を聞くと、ひとりっ子の私が、もしも外国人と結婚したら将来的に頼れる身内がいなくなると心配してのことでした。 理由は他にもありました。 当時23歳だった私には結婚は若すぎる。(うちの両親が結婚したのは30を回ってからだったので、お互い好きなことをやり尽くして、自分の人生を楽しんでから結婚して、それに後悔がないから私にももっと好きに生きてほしかったようです。) それから付き合っている期間が短すぎる。(当時3ヶ月。とはいえ、うちの両親も結婚を前提に付き合っていたのですぐ結婚してますけどね。 30歳回っていたらそれでもいいけど23歳はそれじゃだめなんだな。) でも、正直どれも納得でした。 でも、はいそうですか、じゃあ辞めます。とはなれなかった私は、何度も説得し続けました。 今でこそ許してくれて、仲良く3人で暮らしていますが最初は「会う気もないから日本に連れてくるな」とまで言われていました。 感情的になったことも一度や二度じゃありませんでした。
結局、私は彼と結婚する為にセカンドビザの取得を諦め、一緒にシドニーで最後まで暮らしました。 彼は私のビザが切れる4ヶ月前にビザが切れてしまうので、学生ビザに切り替えて最後まで一緒に残ってくれました。 オーストラリアでお互いのビザが無効になってからは、それぞれの国に帰国。 彼が日本のワーホリビザを取るためには韓国にいることが条件だったからです。 10月に申請してから発表まで1ヶ月かかりました。 3ヶ月間の国際遠距離恋愛もしました。 その期間、私が韓国に行き、彼も日本に来て…国際遠距離とは言えお隣の国だったので時差もなく1ヶ月に1回は会うこともできて、寂しい思いはしませんでした。 彼が日本に来てからはなんとかふたりで協力して仕事を見付け、なんとか生活も落ち着き始めました。
さて、そんな背景があった訳ですが、よく友達に言われることがあります。
「 よく覚悟決めたよな! 」
………と。
これ、私よく分からないんです。 もちろん大変なことは重々承知の上ですが、「覚悟」というほどどっしりとした何かはまだないです。 多分友人は外国人との結婚によく踏み切ったと言いたいのかと思うんですけど…そもそも結婚においての覚悟ってなんなのか? 相手が外国人、日本人関係なく結婚するのに覚悟がいるのか? そもそも周りの友人はどんな覚悟を持って結婚をしたのか? …なんかも、いっぱい調べたり、聞いたりしました。
だいたいネットで調べて書いているのは、家族を作る覚悟、これからはひとり事ではなく、2人の問題になること、一生一緒にいる事、自由がなくなる…なんて書いていますが。 これもいまいち私にはよく分からないんです。 もちろん上記のことはよく分かってるけど。 それは自分達の価値観だと思うし。
それで言うと、今までだって全てひとりのことでなく2人の問題として生きてきました。 ビザ、将来の夢、お互いの生い立ちも全部受け入れているつもりです。
自由がなくなるかどうか? それは自分達次第だと思います。 私も彼もひとりっ子。 ひとりの時間、自由な時間は大切です。 もちろん、ひとりっ子だからこそ、誰かといる時間もすごく大切。 この半年一緒に暮らしてみてそれも十分に理解しているし、きっと私達の事だから今までのようにバランスよく生きていけると思います。 喧嘩のたびに、今まで何度もプチ家出をしては帰りにケーキを買って心配されない時間にきっちり家に帰りました。 ショートケーキを買って帰る派の私と、がっつりホールケーキを買ってくれる派の豆柴くん。 誕生日でもないのにいつも「Happy Biethday!」と書かれていました(笑)
子供はまだ産んだことがないから今の私には何も言えませんが…一生一緒にいる事? 現実的に夢のないことを言ってしまえば、覚悟してても離婚する人はする。 ラブラブでもする。 愛がなくても一生一緒に居る人もいる。 そんなことを深く考えたって仕方のないことやと思うし。 少なからず別れる想像が出来ないから、別れるまで一緒におってみるっていう感覚? もちろん、お互いのことすごく大好きで、ずっと一緒にいたいと思います。 死ぬまで楽しく生きていきたいと思う。 でも、相手には依存したくないから、ほどよい距離感を保てば、そんな覚悟をしなくても一緒にいると思う。
24歳の小娘が何を言うか、と思われるかもしれません。 既婚者から見れば、大人から見れば、まだまだ甘いと思われると思う。 甘いとだめでしょうか。 覚悟って、どれもこれも将来苦しくなった時に乗り切る自信があるか?って聞かれてる気がしてどうもいやだ。
むしろ覚悟を決めたのは、私ではなく彼です。 日本に来るというのはかなり勇気のいることです。 しかも、彼は私と付き合い始めた頃日本語は全く話せなかった。 私の為に覚悟だけではなく一生懸命努力もしてくれた。 仮にこれが逆の立場だったら? 私がもし韓国に来てほしいと言われていたら。 私は正直何と答えていたか分かりません。 行ったこともない、言葉も話せない、友人もいない、そんな場所で生活するということは、例え愛する人がいたとしてもとても覚悟のいることだと思います。 でも、それについてきてくれた。 それは、間違いなく彼の覚悟です。
こんな曖昧な覚悟持ってる私ですが、彼の人生、彼の両親、私の家族、私自信には責任を持って結婚するつもりです。 覚悟と責任って、同じじゃないか?と思われるかもしれませんが、私にとっては全く別問題だと思っています。
私は、私の人生に彼を巻き込んでしまったと思っています。 私が最初は日本で暮らしたいと言ったから彼は日本に来ることを選択してくれた。 選択させたのは、私です。 その責任は十分に感じています。 だから私は中途半端なことはできない。 今私が病気になって、死んでしまったら? 残された彼はひとり日本でどうやって生きていくのか? 日本に滞在できなくなってしまうんじゃないか? 韓国に帰るのだって簡単なことではない。 仮に日本に住み続けられたとして、再婚なんてすぐにできるものなのか? だから彼のために私は健康に生きていかなければならない責任がある。
将来子供ができたら? 子供はすごく欲しい。 でも、この将来も安定していない私達に子供が出来て、それこそ私が仮に死んでしまったら? 彼は日本でどうやって子供を育てるのか? お金は? 家は? 生まれた子供にも苦労させてしまう。 子供を産む前にも準備を整えて、今の自分達なら大丈夫!っていう時でなければとも思う。 だから、子供は欲しいけど、無理だったらこのままふたりで暮らしていってもいいと思う。 自分達の暮らしに責任を持てるようになるまでは。
日本で暮らしていて、彼や自分の子供が嫌な思いをすることがあったら? そうなったらすぐにでも日本を出よう。 彼は私についてきてくれた分、彼がこうしたいと話したら、どこにでもついていく。 韓国でも、オーストラリアでもどこか違う国でも。 日本と韓国って、どうしても難しいことがたくさんある。 結婚するとなって余計に毎日痛感する。
私は彼の両親から、ひとり息子を奪ってしまった。 奪うという言い方は変かもしれないけれど、韓国人と結婚したらきっと韓国で、実家の近くに住んでいたかもしれないのに、日本に連れてきてしまった。 きっと寂しいと思う。 その責任も感じて、私に出来る精一杯のことはしてあげたいと思う。 私のこともすごく可愛がってくれる。 ありがたいくらいに、日本人の嫁を受け入れてくれる。 そんな両親のためにもいい娘でいたいと思う。
私は彼と、私の人生に責任があると思っている。彼がどこまで考えているかは分からないけれど。 ただ、仮に私の旦那さんが日本人だったとして、私がそこまで考えていたかは分からない。 けど私にとって韓国人の彼と結婚するということは、この責任全てだと思う。
私は子供時代、特殊な家庭環境で育ってきました。 両親が、助け合いながらも苦労してきたのをずっと見てきました。 特に母がどれだけ苦労してきたかを見てきて、私は子供の頃将来結婚はしないと決めていました。 結婚は不幸の始まりだと思っていたからです。 自分が両親にとって、両親の人生の足かせになっているとずっと感じていました。 私がいるから苦労ごとがひとつ増えてしまっているんだな、とか。 好きなことを我慢してくれているんだろうなとか。 でも、大人になってみて少し分かりました。 あの頃のふたりは不幸だった訳ではなく、助け合って生きていたんだなと。 大変な思いもしてきたけれど振り返るとそれが楽しかったんだろうなと。 私が足かせかどうか? そんなこと一言も言われたことなかったのに。 就職して一人暮らしを始めて、どれだけ愛されていたかも気付いたり。 大人になって家族に対して前向きになれました。 高校を卒業してからは素直に結婚がしたい、子供が欲しいと思えるようにもなりました。
彼も子供時代にいい記憶はないと言っていました。 いつももの寂しく、幸せじゃなかったと。 付き合って半年程経った頃、お互いの生い立ちについて初めて打ち明けたとき、私は彼を幸せにしてあげたいと感じました。 私達らしく死ぬまで笑ってくだらないことをして楽しく死にたい。
私達の子供には尚更、自分達のように寂しい思いをさせずに育ててあげたい。 そうやって普通の家庭を築きたい。 両親がいて、兄弟がいて、お金にも困らず、友達にも恵まれ、人から愛されるような。 週末は家族でお出掛けして、夏にはキャンプとかして。 運動会には家族皆で応援に来て。 家族で晩ごはんを一緒に食べて。 特別なことはいらないから、“普通”のことを“普通”にできる家族。 その普通がいちばん難しいと思う。 自分が羨ましかった普通の家庭を作りたい。
結婚の覚悟って何か分からないけど、とにかく楽しく笑って暮らしていければいい。
そのくらいの覚悟じゃだめかなぁと思う今日この頃です。
かほ
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